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理念の実装とは?
壁に額装された企業理念。格好良い言葉が並んでいるけれど、社員の誰もがそれを実感できていない――そんな光景を、私はこれまで多く目にしてきました。企業が掲げるミッションやバリューが単なるスローガンで終わってしまい、日々の経営判断や現場の行動に活かされていないケースは少なくありません。このように「理念があるのに形骸化している」状態はなぜ起こるのでしょうか。
現場の物語と結び付いていない
一つの原因は、理念が現場の物語と結び付いていないことです。創業時に策定された経営理念が、「不変の聖典」のように扱われてアップデートされず、現代の状況や社員の想いとかけ離れてしまう場合があります。
ウェブサイトに立派に載せられた理念でも、それが現在の社員の行動や未来への物語と結びついていなければ、生きた指針にはなりません。実際、多くの大企業では、新たにパーパス(存在意義)を定義する際に、ほこりを被った過去の理念を紐解くことから始めるケースが見られます。
理念が正しく共有できていない
また、理念が社内に浸透しない背景には、一方通行な伝達や内容の抽象性もあります。
経営層が一方的に額面上のきれいな言葉を掲げただけでは、社員一人ひとりの腹落ち感を得ることは困難です。「理念はあるけど行動に落とし込めていない」という悩みを抱える会社では、社員がその理念に共感・理解できていないことが多いのです。極端な例では、経営理念すら存在しなかった企業もあります。創業100年以上になる老舗企業で、「早くたくさん作れ」としか言われず理念というものを聞いたことがない、という社員ばかりだったケースもありました。
そこに新たに参画した若い経営者は「経営理念がないのにどうやって経営判断できるの?」と疑問を持ち、ゼロから理念づくりに着手しました。このように理念が共有されていない状態では、組織として意思決定の軸を欠き、社員のモチベーションや一体感も生まれにくくなってしまいます。
理念を意思決定の基盤として機能させること
だからこそ、企業やブランドにとって理念を実装(Implementation)することが重要になってきます。単に「良い理念を掲げる」だけでなく、それを経営や現場の意思決定の基盤として機能させることが求められるのです。理念が実装されて初めて、社員が日々の行動をその軸で判断できるようになり、組織全体が同じ方向を向いて進むことができます。
それにより組織の一体感が醸成され、社員エンゲージメントが高まって離職率が下がるといった効果も期待できます。軸が定まれば社員の判断基準が統一され、現場で正確かつ迅速な意思決定が可能となり生産性も高まります。
言い換えれば、理念の実装とは「壁に書かれた絵に描いた餅」を現場で食べられる糧にすることなのです。
ヴァナキュラーなブランディングとは?
では「ヴァナキュラーなブランディング」とは何でしょうか。
聞き慣れない言葉かもしれませんが、ヴァナキュラー(vernacular)とはその土地や共同体に根ざした固有の文化・様式を指す言葉です。建築の世界では、その地域に古くから伝わる素材や工法を活かす「ヴァナキュラー建築」という考え方があります。同様にブランディングにおけるヴァナキュラーな視点とは、企業やブランドが持つ土地固有の文化や歴史、「その会社らしさ」をアイデンティティの核に据えるアプローチです。
なぜ今、土着的とも言える「らしさ」を活かしたブランディングが注目されるのでしょうか。それは、急速に変化する市場環境の中で持続可能な差別化を図る鍵がここにあるからです。
ビジネスの戦略というと競合他社との差別化ばかりに目が向きがちですが、自社ならではの固有性に立脚したブランドは、他社との比較ではなく自分たちの物語で勝負できます。例えば、創業の土地に伝わる伝統技術を受け継いでいるとか、社名に込められた由来が地域の文化と深く結びついているといった要素は、その企業だけのストーリーです。それをブランドの核に据えて磨き上げていけば、他社には真似できない独自の価値となります。それこそが競争戦略に頼らない唯一の差別化になり得るのです。
ヴァナキュラーなブランディングでは、派手さよりもリアリティと共感が重視されます。それは単にローカル色を打ち出すということではなく、「自分たちらしさ」に根差した本物の物語を紡ぐことです。人間くさくて生々しいくらいの「らしさ」をどう解釈し直し、広く伝えていくか。そこにこそブランドの芯が宿ります。私自身、ブランディングの仕事においては「その会社ならではの言葉や文化」をできるだけ掘り下げて見出すようにしています。それが結果的に社員や顧客に長く愛されるブランドを育てると信じているからです。
理念を実装するためのプロセス
では、理念を組織に実装し、ヴァナキュラーな「らしさ」をブランドに昇華していくには具体的にどのようなプロセスが有効でしょうか。ここでは私が実践している大まかなステップを紹介します。
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1.企業のDNAを見立てる
まずはその企業ならではのエッセンス(本質)を掘り起こすことから始めます。表面的なスローガンではなく、歴史や社内文化に脈々と流れる価値観や強みは何かを探る作業です。具体的には、社史の振り返りやアーカイブの整理、社員への聞き取り(インタビュー)やワークショップなどを通じて、過去から現在に至る様々な出来事や語られてきた想いを収集します。
例えば創業者が残した言葉、転機となったプロジェクトのエピソード、長年働くベテラン社員が大事にしてきた信条など、「目には見えないが確かにそこにあるもの」を丹念にすくい上げていくのです。
この段階では、できるだけ多様な「声」に耳を傾け、それらを見える化することがポイントです。集めたエピソードやキーワードを時系列で年表にまとめたり、模造紙やオンラインツール上に書き出して俯瞰し、バラバラに見える情報から一貫したストーリーの種を見立てます。
私も関わったプロジェクトで、創業からの歴史を年表とマッピングで可視化し、社員の証言と客観的な事実を整理したところ、「一貫して流れている想い」のようなものが浮かび上がってきたことがありました。こうした企業DNAの発見こそが、後々の理念やブランドの核を形作る土台になります。
なお、過去のアーカイブ(記録や資料)の活用も非常に重要です。長い歴史を持つ企業であれば、社内に蓄積された資料や製品、写真などは宝の山です。実際、海外ではディズニーやナイキ、アップルのように自社のアーカイブズ(資料庫)を持ち、専門のアーキビスト(記録管理担当)を置く企業も珍しくありません。彼らは自社の歴史を丹念に保存し、それを新しいブランド戦略やマーケティング施策のインスピレーション源として活用しています。
過去を掘り起こすことは未来のアイデアの触媒になる──この視点は理念策定にもそのまま当てはまります。企業のDNAを見立てる際には、ぜひ自社の“記憶”を丁寧にひも解いてみてください。
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2.組織文化を言語化し、未来の指針を定める
過去から本質を抽出できたら、それを土台に「ありたい未来像」を描いていきます。企業のDNAを踏まえて「自分たちらしい未来」を構想するフェーズです。ここで大切なのは、単に奇麗事の未来像を描くのではなく、自社の歴史・文化・強みと地続きの未来をデザインすることです。過去・現在・未来をつなぐ物語を再編集し直し、一貫性のあるナラティブ(語り)を紡ぎ出します。必要に応じて過去の出来事の意味付けを再解釈し、「これまで大切にしてきたAという価値観があるからこそ、これからはBの領域にも挑戦する」といった物語の因果関係を整理していきます。
この過程では、企業のパーソナリティを明確にすることも有効です。私はブランド戦略の策定時にブランド・アーキタイプの手法を用いることがあります。つまり、その企業をあたかも一人のキャラクター(人格)だと見立ててみるのです。ヒーロー型なのか、名脇役型なのか、それとも職人肌なのか──そうしたキャラクター像を定義すると、理念やビジョンの語り口に一貫したトーンが生まれます。社員に向けても社外に向けても違和感のない「語り手」を設定するイメージです。それによって理念を語る言葉遣いやスタイルが定まり、メッセージがブレずに伝わりやすくなります。
最終的に、企業の存在意義(パーパス)や使命(ミッション)、将来のありたい姿(ビジョン)、そして行動指針(バリュー)といった理念体系を策定します。ここまでくれば理念そのものは形になりますが、重要なのはこれを絵に描いた餅で終わらせないことです。策定した理念を社内外に浸透させ、日々の意思決定に組み込んでいく仕組みづくりまでが理念実装のプロセスになります。
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3.理念を組織内に落とし込み、循環させる
策定した理念を組織の隅々に息づかせる段階です。私の実感として、いくら想いを込めて練り上げた文章でも、ただ社報やパンフレットに載せただけでは人の心には届きません。文字情報だけで正確に理念を伝達しようとしても限界があり、読まれない文章は存在しないも同然です。そこで必要になるのが表現を工夫したコミュニケーションと仕組みの導入です。
具体的には、理念を伝えるためのクリエイティブな施策を展開します。先ほど抽出した物語を社内報や小冊子にまとめる際には、文章だけでなく写真やイラストを豊富に用いてビジュアルストーリーとして届けます。また動画やアニメーションを制作し、社員総会やオウンドメディアで上映・公開するのも効果的です。最近では理念やバリューを楽しみながら理解できるカードゲームやボードゲームを開発して社内研修に取り入れる例もあります。
重要なのは、メッセージを日常的に目にし、体験できる場をデザインすることです。それによって初めて理念という物語に血が通い、社員一人ひとりの行動に変化をもたらすことができます。
さらに、経営システムそのものに理念を組み込むことも必要です。
例えば評価制度や目標管理(MBO)に理念に沿った項目を加える、人材育成プログラムで理念に触れる機会を定期的に設ける、社内の意思決定の際に常にパーパスに立ち返るクセをつける、といった具合です。
スターバックスでは創業当初、「コーヒー>従業員>顧客>店舗>コミュニティ>株主」という優先順位を経営判断の規範として明確にしていたそうです。最高の一杯のコーヒーを淹れることと従業員が生き生き働ける環境づくりを何より優先し、それが結果的に顧客や地域社会の支持を生み、ひいては株主にも応えることになるという信念です。
このように理念(大切にしたいこと)を軸にした優先順位を定めておくことで、日々の大小様々な判断に一貫性が生まれ、理念が現場で生きるようになります。
最後に、継続的な振り返りとアップデートも欠かせません。一度策定した理念も、時代の変化や事業の成長に応じて定期的に見直す姿勢が必要です。ただし、表面的な言葉を安易に変えるのではなく、上述したDNAの部分(不変の価値観)は守りつつ、その伝え方や具体的な指針を柔軟に進化させていくイメージです。
定期的に従業員との対話の場を持ち、理念に対するフィードバックや新たな解釈を共有することで、理念が社内で循環し続ける仕組みをつくりましょう。
実践例:理念実装が機能したブランディング事例
ここで、理念の実装とヴァナキュラーなブランディングが相乗効果を生んだ具体的な事例をいくつか紹介します。
事例①:老舗メーカーでの理念再構築(社員参加型)
前述した創業100年以上の老舗製造業のケースでは、理念策定から実装まで社員を巻き込んで行われました。長らく経営理念を持たずにきたこの会社に新しく就任した若手社長は、約1年をかけて社員と共にミッション・ビジョン・バリューをゼロから策定しました。
延べ数十回に及ぶワークショップや議論を通じて生まれた理念は、従業員自身の言葉で紡がれた物になりました。その結果、社員の納得感が非常に高く、策定後わずか半年ほどでほとんどの従業員がそのMVV(Mission/Vision/Value)を言えるようになっていたそうです。トップダウンで「与えられたスローガン」ではなく「自分たちで作った約束」であることが、これほどの浸透度合いを生んだ要因でした。実際、「自分たちの言葉を積み上げて全員が腹落ちするMVVができた」と社長は手応えを語っています。
この新しい理念はその後の事業戦略の指針となっただけでなく、社内に一体感と前向きな空気を生み出し、離職率の低下や新規採用への好影響も見られたといいます。
事例②:伝統企業の土着性を核に据えたブランド改革
ある老舗企業では、自社の歴史的アイデンティティを再評価することでブランド価値の再構築に成功しました。例えば江戸時代創業の食品メーカーでは、「日本の食文化の伝承者」という創業家から受け継ぐ使命を改めて言語化し直し、それを現代に通じるブランドメッセージに昇華させました。過去に培った職人技や品質への矜持といったDNAをひも解き、「守り続ける姿勢」と「時代に合わせ革新する姿勢」の両方を併せ持つ物語を社内外に発信したのです。社史資料の掘り起こしから始まり、昔の広告や製品パッケージを分析して見えてきた一貫した価値観を現在の言葉で再定義しました。その結果、生まれた新スローガンは一見シンプルでしたが社員にとって腑に落ちるもので、創業家も「先祖代々大事にしてきた精神が現代にも息づいた」と太鼓判を押すものとなりました。
この事例は、ブランドアーカイブを活用し過去を資産に変えた好例と言えるでしょう。近年はコカ・コーラやディズニーなど世界的ブランドが自社アーカイブから得たインサイトを新商品のコンセプトや広告表現に活かす動きも活発です。自社のルーツを見つめ直し、それを未来志向で語り直すこのアプローチは、長寿企業のみならずあらゆる企業のブランディングに示唆を与えてくれます。
事例③:パーパスドリブンなスタートアップの成長
創業時から強烈なパーパス(存在意義)を掲げ、それを事業の隅々にまで行き渡らせているスタートアップの例もあります。例えば環境課題の解決を軸に事業展開するあるベンチャー企業は、「〇〇で世界を持続可能にする」というパーパスを創業メンバー全員で策定しました。以来、その言葉通りにプロダクト戦略や採用基準を決め、投資家にも顧客にもパーパスを語り続けています。
印象的なのは、新人研修の初日に全新入社員が自社のパーパスストーリーを自ら語るプレゼンテーションを行う点です。単なる暗記ではなく、自分の言葉で会社の存在意義を語らせることで、一人ひとりがその理念を自分事化します。「あなたはなぜこの会社で働くのか?」という問いにパーパスを軸に答えられる社員は強いです。事実、その企業では従業員エンゲージメントが非常に高く、多少の困難があってもパーパスに立ち返って乗り越える文化が根付いています。創業の志をそのまま事業の原動力に変えた好例として参考になるずです。
まとめ:理念を巡らせ持続的な価値を生む
最後に、理念を巡らせることの意義を改めて整理してみます。
理念は作って終わりではなく、経営の中心に据えて初めて真価を発揮するもの。単なるビジョン策定に留まらず、それを日々の意思決定や行動に落とし込んでいくことで、企業はブレない軸を手に入れます。軸が定まれば、社員の判断基準が統一され、現場で正確かつ素早い対応が可能となり、仕事の効率や生産性も高まりますし、同時に、従業員一人ひとりが働く意義を見出しやすくなり、モチベーションやエンゲージメントの向上にもつながります。
また、理念を巡らせることはブランドの内外に一貫したストーリーを届けることでもあります。内に対しては企業文化として根づき、外に対してはブランドメッセージとして発信されることで、ステークホルダーとの信頼関係を深めます。一貫性のある企業は社外からの信頼を得やすく、理念に沿ったサービスが徹底されれば顧客満足度の向上も期待できます。さらに、企業の姿勢に感銘を受けたお客様が新たなファンとして定着することもあり、こうした好循環がブランドイメージの向上につながっていきます。
私自身、これまで関わった企業のブランディングプロジェクトを通じ、「自分たちのスタイルを持った会社や組織はなんてかっこいいんだろう」と感じる場面が何度もありました。理念を軸に据えた企業活動を続けることで培われるその会社らしいスタイルは、簡単には揺るがない持続的な価値となります。皆さんの会社でも、ぜひ理念をもう一度見つめ直し、そしてそれを現場で巡らせる工夫をしてみてください。それがきっと、次の10年、50年先の未来にわたって企業を進化させる原動力になるはずです。
【参考文献・情報源】